幕末の軍艦咸臨丸は、1871年木古内町和泉沢、サラキ岬沖で暴風雨により
遭難、破船沈没しました。
咸臨丸と言えば日米修好通商条約批准書交換のためにサンフランシスコに到着し、
勝海舟や福沢諭吉らが日本人で初めて太平洋を横断したとされています。
ちなみにアメリカまでの38日間の航海中、34日間は荒天で、
艦長の勝海舟は船酔いで私室にこもったままで、
艦長らしき仕事は何一つしませんでした。
その上艦長のくせに航海中、嫌な事があると、
「俺は日本に帰るからボートを降ろせ!」とか言って、
乗組員を困らせていたそうです。
一緒に乗船していた福沢諭吉も、航海中は船酔いでなにもせず、
そして勝海舟の態度に嫌気がさしたせいか、
終生、福沢諭吉と勝海舟は仲が悪かったようですから、
教科書には書かれていない二人の一面ですね。
その後、咸臨丸は故障が頻発していた蒸気機関(約100馬力)を撤去され帆船となり、
戊辰戦争に使われました。
そして 咸臨丸は明治4年(1871年)、函館から江差に向かう途中、沈没。
咸臨丸は今も津軽海峡、更木の海に眠っているのです。
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