2009年07月13日

第六潜水艇浮上せず

久しぶりに戦記物の本を読んだ。

といっても今回は悲しいお話であります。

今から100年ほど前の1910年(明治43年)4月15日、広島湾沖で潜水訓練中の潜水艇が遭難する事故が発生しました。

海水が潜水艇の内部に入り込み、後ろに大きく傾き海底に沈んでしまう事故でした。

艇長の佐久間大尉と乗組員13名は、艇を浮上させようと排水などの手を尽くしましたが成功せず。数時間後、乗組員全員が呼吸困難(ガソリン中毒)のため窒息死するという痛ましい事故です。 

日本海軍が初めて潜水艇を保有したのは、日露戦争が終わった1905年(明治38年)秋の事で、当時の潜水艦はホランド型と呼ばれる潜水艦です。そのホランド型を元に国産化した潜水艇が六号艇とも呼ばれる佐久間大尉が艇長を務めた潜水艇です。

画像002.jpg
ホランド型潜水艇

全長22mで潜水艇としては後年開発される、蛟竜(こうりゅう)や甲標的等を除けば日本海軍最小のものです。この潜水艇は、構造的に当時としては革新的なシュノーケル装置を持っていましたが、機能的に不備なところが多く、この惨事が起こったのでした。

特筆すべきは、数日後に佐久間艇を引き揚げた際の出来事です。

潜水艇の遭難事故はヨーロッパでも度々起きていたため、経験上ハッチ付近に多くの乗組員の遺体が群がるという、見るも無残な状態を引き揚げ関係者が想像していたそうです。 ところがハッチを開けて見ると、佐久間艇長は司令塔で指揮をとるかのように息絶え、他の乗員らも自分の持ち場を離れずに絶命していていたそうです。そして、佐久間艇長は苦しい息の中で遺書を書き残していた。

その遺書の文中には、部下を死なせた罪を謝り、部下が最後まで沈着冷静に任務を果たした事。この事故が発端で将来、潜水艇の発展の妨げにならない事、沈没の原因やその後の処置について書き綴り、最後に明治天皇に対し、乗組員の遺族の生活が困らない事などをお願いしていました。
 
 
この事件は、国内のみならず欧米各国においても、新聞や雑誌が大きく取り上げていたそうで、イギリスの新聞では「日本人は勇敢であるばかりか道徳上、精神上にもまた勇敢であることを証明している。今にも昔にもこのようなことは世界に例がない」と驚嘆していたそうです。 
 
この事件は、今では語られることはなく、佐久間勉艇長の名前を知る人は殆どいません。しかし、当時は国内のみならず、世界の人々に感動を与えたのでした。



                           人気blogランキングへ
posted by 黒ウサギ at 23:03| ☔| Comment(5) | TrackBack(1) | 戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする