冬になると野山へ出かける機会が激減し、ヲタク生活に入る私です。それでも地図を見て、次期探訪予定地を思考する事もある。
そして、今回目に付いたのが、北斗市(旧上磯町)に、海から約4`ほど奥にある標高330mの鏡山という山であります。
最初は鏡山直近まで林道が続いているから、ちょっと探訪してみようかという程度だったのですが、この山を調べてみても低山のためか山屋さんの記録はなく、見つけたのは箱館戦争の記録でした。
当時、この山に榎本軍は箱館戦争最大の野戦陣地を構築したそうです。明治2年4月29日、新政府軍は強力な部隊を投入し、更には海からは艦砲射撃を加えて、この陣地をを突破し侵攻したとある。
詳しい事は歴史書を調べれば分かるので割愛しておきますが、どうやら鏡山南側から伸びる林道?は現存する当時の道みたいだった。そして、鏡山から北側への道は地図では確認できませんが、昔は矢不来(やふらい)側へ抜けられたようです。
これは見てみたくなったので、来春は現存するらしい南側の林道を通り、鏡山へ是非行ってみる事にしましょう。
そしてもう一つ、鏡山から更に北へ行き、当別手前に葛登支岬灯台がある。この葛登支岬灯台裏手には、時の豪商、秦家.の寿楽園という庭園があったそうです。
なんでも島崎藤村ゆかりの人物らしく、そこには島崎藤村の石碑があるらしい。これも情報が少なくよく分かりません。春まで時間があるから暇をみて調べるつもりです。
う〜ん・・・
となると・・・
いつもはバイク中心での探訪ですが、こういう局地戦となると、やっぱりバイクより徒歩の方が良いかも知れません。だってバイクより、超壕、超堤能力は、私の2本の足の方が優れているでしょうからね。
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