昭和26年の慰霊堂の画像を見つけた。
慰霊堂とは昭和9年の函館大火で亡くなった2828名の函館市民を方々を祭るために作られた建物です。年一度の慰霊祭が行われる以外、訪れる人も殆どいない建物で『ばんだい号』墜落事故の際にも遺体安置所として使用されたそうです。
大火後、焼け出された人が掘っ立て小屋生活を送り、その後昭和20年の敗戦で家を無くした人々がここに住んでいたそうです。
そんな暗い過去があるとは思えないほど今は整備された場所となっています。
ちなみに、この頃の函館山山頂にはテレビ塔も立っていません。
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2008年06月26日
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戦争を含め、当時の惨劇を経て現在に至る方々への敬う心も忘れ‥
現生活の奢りからタメ口吐いたり邪魔扱いしたり‥
知らずに生きてきた我らが言う原油・食料高騰、景気低迷ピーピーって‥
まだまだ生温過ぎますね。
そのうちドカン!と落ちそうな予感は拭い切れません。
熊同様、心構えしておかなくちゃ〜ね。
ココの公衆トイレは何度か使わせて頂きました(^^)
普段よくみる建物ですが、
これは慰霊堂だったんですね。
終戦時にも活躍したとは、
以外なところに歴史を
知れるものがあるんですね。
そうですね。
この界隈は昔『さむらい部落』とか言っていたりして、
治安が良くなかったと聞いていましたが、
今では別の場所のようになってしまっていますね。
私は慰霊堂前のグラウンドで紙飛行機を飛ばして遊んでましたね。
昔は慰霊堂のグラウンドで相撲の興行に大鵬(知ってるかな?)が来たり、
プロレスの興行でジャイアント馬場、アントニオ猪木等も来ていました。
今では考えられないお話ですがね〜