今時期の水の沢林道(廃道)は、大船松倉林道へ抜けられない事が分かった。
そうと分かれば、とっとと戻りましょう。
撤退は途中でのデジカメ撮影もないので、あっという間にアヤメ湿原に到着です。
一旦バイクを停めて、あちらこちらに付いた雑草を払い落す。
さて、出発しましょう。
大船左股林道との合流点到着。
大沼方向へ向かう林道にはピンクのテープが張られており、そのテープが路面に下ろされていました。工事中のようですが、日曜日の為、工事が無く通行可能のようです。現在時刻は16:00過ぎ、大沼経由では時間がかかりそうなので、大船松倉林道へ出て帰りますかね。
万畳敷入り口到着。
やっぱりちょっと寄り道する事にしましょう。
実は、万畳敷を訪れるのは十数年ぶりなのです。
以前、ここの直線をいい気になって走っていたら、横からプーさんが出てきて急ブレーキ。その距離10m弱でプーさん仁王立ち、しばし睨み合いが続いたという一件以来、あまり訪れる気がしなかった場所なのです。
それはさておき、相変わらず見事な直線の林道です。
林道沿いには、昔の南茅部の磯谷発電所から函館(亀田)まで伸びていた亀田送電線の電信柱が十数本立ち並び、当時の面影が残されている。現在では昆布の森植林事業が行われ、数十年後には豊かな森になることでしょう。
この林道は行き止まりのピストン林道なので、今回は終点手前にある泣面山登山口で引き返す事にします。
泣面山が見えてきた。南茅部の漁師さん達は、この山を見て天候を知ると聞いた事があります。そんな南茅部の人達に親しまれてきた山なのに、一昔前までは登山道が無く、登る人もいない山だったそうです。
登山道到着、現在は立派な登山道と標識が立てられています。
そろそろ帰りましょう。
万畳敷を後して、国道のような?大船松倉林道を走って帰るだけ。
大船松倉林道を函館方向へ走らせていたら、路面の真ん中にオイルのような長いシミがずっと付いていた。なんでしょう?最初は車がオイル漏れを起こしながら走っていると思ったが、何kmにもわたって付いている。こんなに車からオイルが出るはずもなでしょう。何かの目印なのかな?・・・そうとも思えません。退屈な大船松倉林道を走りながらずっと考えていた。それで、もしかしたら新手の不法投棄の一種じゃなかろうか?というのが私の考え。廃油を少しずつ林道に垂らしながら捨てているのではないのかな?間違っていたらごめんなさい。
そんな事を考えているうちに大船松倉林道も終了。
林道走行距離は約75kmでした。
まだ『ちびまる子ちゃん』に間に合いそうです。
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2008年07月02日
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ご無沙汰しております。激務です(涙)。
アヤメ湿原、楽しませてもらいました。
クマの行動が活発ですね(汗)。
お気をつけてください(願)。
磯谷発電所は以前に紹介してくれた
磯谷温泉跡付近にある発電所ですよね?
古き時代に函館まで電気が送られてたとは、
意外でした。
お仕事ご苦労様です。
今回のアヤメ湿原は日曜日という事もあり、沢山の車やバイクが走っていました。
やっぱりプーさんより交通事故の方が確率が高いと感じましたね。
亀田送電線の名残は、アヤメ湿原にもあり、
おそらくそこから山の中を抜けて、陣川温泉の裏まで続いていたと記憶しています。
蝦夷松山登山口近くにも倒れた電柱を見ることができます。
去年の話しですが、自分も下の方から上がりましたが1Kmくらいで草木に覆われてました。
今回は常呂の方には下りなかったんですね。
景観が素晴らしいので自分はいつも常呂の方から帰ってます。
ただ、ヒグマが恐いてすが…
そうですか、水の沢入り口の方からだと九十九折れが続くガレ場があって、
そこから少し走ると草がボウボウになりますよね。
林道自体は長くても5kmも無いはずなので、
あきさんが到達した地点と私が撤退した地点の間は1.5km程度でしょうね。
草の無い春先なら何とかなりそうな感じがしました。
常呂林道は春に行った貧乏山から走ろうと思って、今回はお預けにしておいたんです。
一昨年、常呂林道の辺りでプーさんに遭いましたが、かなり大人しいみたいで、
かなりの距離がありましたが、とっとと逃げてくれました。
ついこの間、林道を走っていたら、自分も距離にして5mのところで、右の茂みから出てきました。
車内だったので冷静を保てましたが…
熊は悠々と左の茂みに帰っていきました。
初めて至近距離でみたので興奮したんですが、歩いてばったり会ったらゾッとしますね。
またまたコメントありがとうございます。
一度だけプーさんとの危険なニアミスがありましたが、
それ以外はあきさんが遭遇したのと同じです。
何回もそんな事を繰り返すと、私もある程度平気でいられるようになってしまいました。
今は熊避けスプレーもあるので安心ですし、ナタも徒歩時には持参しています。
それでも、心に『いざとなったら闘う』という覚悟は残してあります。