2008年07月12日

野山の交響楽

昔からの事ですが、私には音楽の才能がないみたいです。

小学生、中学生時代には通信簿の音楽の成績で、3以上取った事がない。歌のテストも笛のテストも全然ダメ。ダメどころか一週間後に笛のテストが迫って来ると、苦痛でなりませんでした。皆が楽譜も見ずに笛を吹いたりしているのが信じられなかったし、皆と同じように練習しても上達速度は1/10程度です。習い事ってのは上手になって行くのが面白いから続けられるもので、私のようにいくらやっても上手くならなければ、当然面白くもなく、ただただ苦痛なだけでした。

二十歳を過ぎても、その才能は全く開花することもなく、以前より退化して行く始末。

それでも音楽を聴く事ぐらいは出来るので、いろんな曲を聴いたものでした。

そして三十歳を過ぎた頃からある事に気が付き始めました。

それが野山の交響楽です。

時間があると出かける野山、好きだから出かけるといってしまえばそれまでですが、そこには何らかの癒しがあります。もちろん、マイナスの面もあり、毒虫やプーさん、そして時には自然の脅威も危険の一部となってくるでしょう。

そんな野山には、ある一定の周波数があり、これが音楽と同一の周波数だと思われるのです。春夏秋冬、何時行ってもそれが聴こえて来ます。そして、その周波数こそが音楽同様、“野山での癒し”になっているのでしょう。

ベートーベン交響曲第6番 ヘ長調 田園、この曲だってベートーベンが田園の風景をイメージして曲にしたわけで、田園という曲が素晴しいのは、田園の風景自体が素晴しかったのでしょう。もちろん素晴しい風景だからといって誰にでも『田園』という交響曲を作れるわけではありません。それこそがベートーベンの偉大な才能です。
思うに、交響曲第6番『田園』と実際の田園の風景が、ほぼ同じ周波数で出来ているのではないでしょうか。

私には見た風景を曲にするような才能など持ち合わせていません。でもね、野山へ行けば私にもしっかりと自分だけにしか聞こえない交響曲が聴こえてきます。
春夏秋冬、場所、時間、天候とさまざまな条件によって聴こえてくる交響曲。残念ながら誰にも聴かせることはできませんが、そんな事を考えて野山へ入って行けば、野山から出される全ての周波数(交響楽)は誰にでも感じられるはずです。

私の頭の中で流れる交響曲をお聞かせできませんが、イメージとしてはモーツァルトの曲に近いような気がします。

ただし、廃道やプーさんの臭いがプンプンする場所では、残念ながらモーツァルトは聴こえてきません。

聴こえるのはワーグナーやバッハ系の曲になってしまいます。

そして、秘湯や秘湖、秘境に到着した時には『威風堂々』かな?


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posted by 黒ウサギ at 16:13| ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
走行中も山中でも機器から奏でる調べは興醒めに思えます。

鳥の声、渓流の清音、風の音‥。

侵入者を警戒するツガイの野鳥、揺れる木漏れ日、昆虫達も負けじと一時を慈しむ。

とても素敵な調べだと思えます。

こんな事を文字にするのは恥ずかしかったりもしますけど

本音であります(*^_^*)
Posted by mori at 2008年07月13日 00:32
moriさんへ

私もそう思います。

人間が作り出した音より自然の音の方が素晴らしいのは確かでしょう。

私はそれに気付くのに少し時間がかかってしまいましたが・・・

それでも、人が作り出した音に感動するのは、
その裏にある人間の努力や苦労を垣間見る事ができるからでしょうか。
Posted by 黒ウサギ at 2008年07月13日 07:22
黒ウサギさんへ
芸術系の才能って、はっきり言ってしまうと、
「生まれつき」
の部分が大きいですね。音楽に限らず、絵画でもそうです。
でも、芸術の“創作能力”と“鑑賞能力”は別物で、“創作能力”が無くても“鑑賞能力”がある人は居ますね。どちらも無い人も居ますけど……。

自然の中に“モーツアルト”を感じ取ったり、”ワーグナー”や“エルガー”を感じ取れるって言う事は、黒ウサギさんには“鑑賞能力”が有るってことですよ。それって“素晴らしい”事です。

最近、何を思い立ったのか、昔観た映画『アマデウス』を見返したくなって、DVDを引っ張り出してきて鑑賞したところでした。

モーツアルトの“死因”は、実は色々と言われていて、“サリエリ説”“フリーメーソン説”等があります。映画は“サリエリ説”に基づいて創られています。

モーツアルトは音楽的には天才でしたが、その行動は奇矯な所が多かったというのは、良く知られた話です。『アマデウス』ではそんな、モーツアルトの天才に対するサリエリの嫉妬が殺意に変わって行きます。サリエリは、

「音楽を愛し、その才能を神に願い、もし叶えてくれるなら、生涯を“神”を賛美する音楽を作り続ける」

事を“神”に誓います。しかし、“神”は無情にも、その才能をモーツアルトに与え、サリエリには音楽を鑑識する才能しか与えてくれませんでした。

まあ、わたしたちなら「それで十分」なのですが、サリエリはドイツ皇帝に仕える“宮廷音楽家”。しかも、モーツアルトは皇帝の前で、サリエリの作曲した曲を、「ここが少しおかしい」と言うと、またたくうちに、素晴らしい音楽に直して行きました。

こういう事が重なって、サリエリは「神を呪い」、狂気へと入り込んで行く事に……。

モーツアルトの音楽には、所謂“1/f揺らぎ”が含まれて居るのでしょうね。自然界に満ち溢れた

『規則正しい音とランダムで規則性がない音との中間の音で、人に快適感を与えると謳われている』

リズムなのだそうですが、未だに確実な所は解っていないようです。しかし、この理論を使って良く『ヒーリング・ミュージック』とか創られています。

“創作力”は確かに一摘みの天才に与えられた能力で、貴重な才能ですが、“鑑識力”も本当に素晴らしい能力で、何より“自分”や“自分の生活”を豊かにしてくれる能力です。黒ウサギさんの“鑑識力”は北海道の大自然が与えてくれたのかも知れませんね。
Posted by 阿頼王 at 2008年07月13日 14:23
阿頼王さんへ

よくわかりませんが、野山の周波数って、結局、胎児が母体の中で聴いていた、
心臓の鼓動や血流などの音なのかもしれません。その音自体、まさに自然そのものなのでしょうから、川のせせらぎや、そよ風の音と同じ安らぎの音、1/F揺らぎなのでしょうね。

その周波数を交響楽に入れたら、そりゃ癒されますよね。

そういえばヒトラーの演説にも人を魅了する周波数があったみたいですね。
Posted by 黒ウサギ at 2008年07月13日 19:17
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