八雲町にあるのにどうして札幌っていうのか謎でした。
そしたら昨日sakagさんのHPで札幌山の山行記がアップされていて、名前の謎が分かった。何でも山の所有者が札幌の人だから札幌山と名付けられたそうです。
分かってしまえば単なるコロンブスの卵で「なぁ〜んだ!」って思って終了。

画像は先月(10月13日)アルポンツーリングの際、八雲育成牧場展望台から撮った札幌山。

登山道が無い山ですが、頂上をまたいで高圧線が通っており、下には管理道路が作られていますから、下手な登山道より立派な道だそうです。
八雲町の山々はアイヌ語の山名が多い中、もう一つ和名で謎の山名が鉄砲岳。
昔は熊が多くて鉄砲を持ったマタギしか入れない山だったのか?はたまた鉄砲水が起こりやすい地形なのか?沢にカニが多く住んでいて、それを鉄砲汁にして食べたんだろうか?とか、色々考える山なのでした。
ちなみに、この山の麓界隈ではワラビが一面に生えていて、沢山採ってワラビ餅を作った思い出があります。ワラビから取れるデンプンの量はたかが知れていますから、純度100%のワラビ餅はバケツ一杯とって大福一個程度。労力からすれば、かなり高価なお餅でしょうね。
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ところで八雲の地名ですが、以前誰かに聞いた記憶では、一週間のうち八日曇っているので、八雲って言うということだったのですが、それで良かったのでしょうか?もしかしたら、冗談で言ったのかなと半信半疑の部分もあるのです(^^)。
本当はアイヌ語に当て字をしたのかな?
その通りです。
八雲は一週間で八日曇るから八雲って言うみたいです。
朝晩には海霧がよく出るし、山からの霧もよく発生しますから、曇り空とはまた違った曇り方なんですけどね。
ちなみに八雲町は尾張藩からの入植者が多いんですよ。
そういえば北檜山にも愛知という地名がありますね。あそこは徳島もあるし若松もあっていろんな藩から入植したみたいですね。
そういえば熊石はいまは八雲町になってしまいましたね。八雲町は太平洋(噴火湾)と日本海の2つの海に面した珍しい町ですよね。
反対に黒松内町は噴火湾にも日本海にもほんの数キロというところで面していませんね。
そうです。
徳川尾張藩からの入植者が多いんです。
私の先祖も四国からの入植だったそうですが、北桧山の徳島からの入植者は蜂須賀家だったはずですから、先祖は野武士で秀吉に仕えていたのかも知れないなぁ〜なんて思ったりしましたね。
八雲町は山越郡でしたが、二海郡に変わりましたね。そのまんまのネーミングですよね。
鉄砲山の由来も知りたいです。また調べてみます。
ところで、八雲町の由来は、正確には下記です。
明治14年に徳川慶勝卿が、大いなる八重垣を巡らしたよ うな「豊かで平和な理想郷を建設したい」という願いを込めて、古事記所載 の「八雲たつ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣を」という短歌から名付けたそうです。
同じ由来の同じ名前の町がどこかにあるはずです。
デジカメだと何枚撮ってもタダなので、かなりの枚数を撮っていますからたまたま札幌山を撮っていました。
八雲町の名前の本当の由来教えていただきありがとうございます。
そうだったんですか。私は子供の頃から「一週間で八日曇るから八雲」って教わっていました。
疑問に思うこともなく曇ばかりなので八雲と思っていたんです。
鉄砲岳の名の由来・・・検索しても分かりませんでした。
sakagさんの人脈でしたら、分かるかも知れないので期待しています。