昨日に引き続いてのお話。
その頃、デパートでお買い物をするなんてのは、滅多にある事ではありませんでした。
他にイベント的?楽しみがなかったかな?と考えてみたら・・・あった。
当時、祖母に函館山の麓にある、谷地頭町の市営谷地頭温泉に連れて行ってもらうのも、お楽しみの一つでした。
市電に乗って谷地頭の終点まで、車窓からの景色を眺めるのは実に楽しかった。現在は労働会館回りの路線は廃止されていますが、当時は国道5号線経由と労働会館回りがあり、どっちも幼い私の目には新鮮な景色です。電車が谷地頭の終点に到着すると、電車の運転手さんが進行方向逆側の運転台に立つまで眺め、それから谷地頭温泉に向かったものです。
温泉は近所の銭湯とは違い、体育館のように広くて脱衣所の畳の匂いが印象的でした。祖母と一緒に女湯(子供ですからね)に入る。湯船のお湯は現在と変わらず黄土色をしています。深さが全然わからないので、恐る恐る入ったものです。深さに慣れると、次はおもちゃで遊び始めます。当時から好きな潜水艦のおもちゃは必ず持参していましたからね。
のぼせるほど湯船で遊んだ後は、祖母に体を洗ってもらう。お風呂で一番嫌いな時間がこの時でした。当時はお風呂など一週間に一度入ればよい方だったので、垢が出るわ出るわ・・・その垢こすりが大嫌いだったんです。
体を洗い終わると、もう一度湯船で遊んで入浴終了となります。
そんな谷地頭温泉で、伝説のおばあちゃん『洗濯ばあさん』に一度だけ会った事がありました。この人も『スッポンカッポン』同様に、古くから函館に住む人で知らない人はいないはずです。頭をツルツルに剃っていて、洗い場でお洗濯をし、何だか訳の分からない奇声を発しながらお洗濯をしていました。子供心に悪い人じゃないけど変なおばあちゃんだなぁ〜と思える人物でありました。
その後、祖母が街中で何度か『洗濯ばあさん』を見かけた事があった。『洗濯ばあさん』は、現在のベイエリア(金森倉庫)のそばにあった、フェリー乗り場近くの水のみ場(水道)でお洗濯をしていたそうです。その洗濯物は近所の人達の洗濯物で、洗濯終了後、幾らばかりかのお金を貰っていたそうです。これでみんなが『洗濯ばあさん』と言う訳が分かったのでした。
私の洗濯ばあさんとの出会いは一度だけでしたが、現在でも洗濯ばあさんを知る人は多いようで、会社の年配の同僚に「洗濯ばあさんって知っています?」と聞いてみたら、やっぱり知っていた。
『洗濯ばあさん』は、市内のあちこちに出没して洗濯をしていたと、当時の話を懐かしそうにしていました。
歴史に残るような人ではありませんが、函館史の中で、後世まで語り継がれて欲しい人物・・・かな?
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2009年02月05日
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何時も行くと入っていますよ・・
朝6時から入れるしね・・・
わざわざ大沼キャンプ場からも朝入りに行くな〜
だって メッチャ近いし・・お笑い。
途中にも有るが・・朝早くはないんですよね・・
やっぱ朝風呂が良いんですよ〜〜
「第二と第四週の火曜日が お休みだったな」
金も 年中無休ですが・・・
ここは早くと言っても・・8時半位かな??
「泊まらないので此の時間ですね・私は」
昔、祖父によく函館の話を聞いたものでしたが、『洗濯ばあさん』については聞いた事がなかったです。
洗濯ばあさん、これも母から聞いた話です。
赤い布切れで髪を結んでいたそうな。
谷地の温泉、民間に売られるそうで…。
だんだん函館の名物が無くなってきますね。
鐘を鳴らして売り歩く団子屋さん、見なくなりましたねぇ。
寒くなってからは見かけない焼き芋屋さん。
黒ウサギさん、分りますよね。
例のあの焼き芋屋さんです。
市営谷地頭温泉も行ってましたよね。
ご存知の通り、この温泉は朝早くからやっているので地元の温泉好きには根強い人気があります。
子供の頃の谷地の温泉(昔はそう言ってました)は、今より大きくて(子供だったからね)本当に温泉ランドって感じでした。潜水艦で遊んでも近所の銭湯や家のお風呂とは全然比べ物にならないくらい楽しかったんです。ちなみに、温泉の敷地内には『珍宝神社』ってのがあるのをご存知でしょうか?ネット検索してみれば、ちょっと笑える神社ですよ。
洗濯ばあさんを知っているのは、当時の函館(五稜郭から函館山まで)に住んでいた人だと思いますから、50代以降の人なら分かると思いますよ。
一度、周りの人に洗濯ばあさんについて聞いてみてはどうでしょうか?
きっと面白い話が聞けるはずですよ。
昔は旭川にお住まいだったので、洗濯ばあさんは知らなかったのでしょうね。
腰に空き缶をなぜか?ぶら下げていて髪はボーズ頭だったんです?
なので髪は結べないはずなんですけど・・・?
服はハギレの布をたんぼして作っていたと記憶しています。
団子屋さん・・・もういなくなりましたね。
あのお団子・・・美味しかったなぁ〜
焼芋屋さんは湯の川の界隈でたまにみかけますよ。
あの辺りに住んでいるようです。
敷地内に面白い物「下ねた?」が有ったなんて全然知りませんでした・・
今度見てみましょうかね
この辺「昔・遊郭が有ったみたいですね?」
函館の坂にも遊廓が有ったと話では聞きました。
「確か火事で無くなったと聞きましたが?」
立待岬も良い所ですよね・・・
今度は函館山の裏側へ行ってみましょうかね・・
「行ける所迄ね」
なんか良い喫茶店が有るみたい何ですよね?
下ネタだったでしょう(笑)
当時の函館は(私の生まれるずっと前ね)この辺りから十字街界隈がメインでしたから、昭和33年の売春禁止法が出来るまでは、沢山の遊郭があったそうです。
当時は北洋漁業の全盛期で、ボーナス30ヶ月なんてのはザラだったみたいですよ。
ですから宵越しの金を持たないっていう船員さんやら漁業会社の社員が沢山行っていた事でしょうね。
函館山の裏側は、今では秘境となっていますね。
何度も行った事がありますけど、やっぱり秘境感たっぷりの場所です。
ちなみに、良い喫茶店>今は閉店してしまいました。
お勧めは墓場(外人墓地)の中にある?喫茶店『モーリエ』でしょうね。
私のブログでも紹介しています。
http://kurousagi1998.seesaa.net/article/45871218.html
それでは「モーリエ」へ行ってみましょう・・・
此の秋に行きましょう・すぐ秋になりますから。
今度は 奥奥八九朗温泉で 一泊してから上陸しましょうかね・・・・
「なんか金よりも良いと言う噂なので 此の目で確かめたいので」
記事にも書きましたが、函館も御多分にもれず不況ど真ん中なので、
今日あったお店も次の日にはどうなるか分からない状況なんです。
奥奥八九朗温泉温泉は私も狙って?いました。
函館からだと海を渡りさえすれば日帰り圏内?なので
暇さえあれば何時でも行けるんですがね〜
乞食のばーさんなんですが、洗濯ばーさんが皆に好かれているので、自分も頭を剃って洗濯ばーさんと思われれば皆に好かれて施しを貰えると思ったんでしょうか。
でもこっちのばーさんは到底人に好かれるような人ではなくて、ゴミ箱を漁っては散らかしっぱなしで皆から嫌われてました。
当時は繋がれてない犬もいっぱい居ましたが、その犬達にも嫌われてて、いつも吠えられてました。
偽物もいたんですか。
それは知りませんでした。
もう半世紀も前の事なので知る人も少ないでしょうね。
引っ越す前は、万代町に住んでました。
が、MPの意味は分かりません。
70年代には亀田八幡宮のお祭りでパトロールしてるのを良く見ました。
昔の人に聞くと、以前は毎日交差点に立って交通整理をして、もっと活躍していたそうです。
害は無い人なので、洗濯ばーさん同様に、みんなに愛されてたと思います。
MP知りませんでした。
万代町に住んでいた頃、昔赤い着物を着たおじさんがいて(人畜無害)面白かったってお話は、近所のおばあちゃんから聞いてましたけど、その人じゃないみたいですね。