
ん・・・これも水かな?
よく分かりません。

辺りを見回すと山側の岩盤からも水が染み出している所もある。
こういう水を当時は水源にしていたのかな?
それとも井戸でもあったのでしょうか。
三角岩を越えて寒川部落跡到着。
前回と全く変わらぬ佇まいです。

一応、パノラマで撮ってみた。
画像にするとただの海岸線だね。
もう一つの寒川へのルート、函館山千畳敷ルートの脇には高さ50cmほどの石碑が3個。


文面は画像の通り。
さて、寒川部落へ付いたので、大休止しましょうか。

海の方へ行ってみると・・・海の中にはウ○が・・・
もちろん採っちゃダメですよ。
白い御飯だけ持っていけばウ○丼食べられるとか思っちゃいけません。
監視船は頻繁に来ていますからね。
寒川部落中心部?には、今でも建物の名残である鉄筋も見ることができます。

石垣もいまだ健在です。
撮り忘れたのですが、寒川部落の先の方では中規模のがけ崩れがあったようで、斜面の草木が無くなっている場所があった。
夕方になって来た・・・
そろそろ帰りますか・・・
ちょっとだけつづく
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ここは正に辺鄙極まりないですが
函館中心部から郊外の町村も
これまた辺鄙であったであろうこの時代。
我が桔梗村から粉ミルクを買いに
線路づたいを五稜郭駅付近まで出向いて
購入していたそうです。
今は亡き母の話でした。
昔は田家から向こうは亀田だったので、函館ではありませんでしたね。
鍛冶町もいまだ鍛冶村って言う人もいるぐらいですから・・・
寒川に行くと、そういった私の中での思い出が
この場所を通して思い出されるのが楽しかったリします。
昔の悪い所と良い所、そして今の良い所と悪い所ってね。