しつこいようだが、またまた『寒川、穴間』シリーズである。
今回は前回の穴間のつり橋の更に前、
大正から昭和初期にかけての穴間のつり橋の画像をがめって来ました。
こりゃ〜つり橋などと呼べるもんじゃありませんな。
当時の人は、こんな軽業師まがいな事をして「寒川」へ行っていたわけですから、
前回の頼りないつり橋でも、どれほど安心できた事か知れません。
それにしても何でここまでして寒川に住んだのか?
今の人間には理解の範疇を超えています。
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2006年11月18日
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寒川ネタには反応が早いですね(笑)
私も寒川の歴史が知りたくなりましたよ。
って言うか、ある程度は知ってはいるのですが、
こんな写真一枚を見ても、当時の厳しい生活がうかがわれます。
そういえば、昨日友人が夕方から新湊の築港で25〜30cmのソイを4匹釣ったそうです。
浮き釣りで6時半ぐらいまでの時間だそうですから、釣れますね。
そう言わず、年内にも頑張って35cmオーバーを釣って下さい。
私は、入船築港の津軽海峡側のテトラポットで何度か釣ったことありました。
夜行くとオレンジ色のナトリウム灯が立っていて
入り口から4つ目の場所です。