
と、思ったが結局、二股岳界隈の林道なんぞを通ったりしたけど・・・

やっぱりクロスカブだとステルス性があるから、コエゾゼミなんかの鳴き声を聴きながら走られます。

晴れてきたのでセミの大合唱です。

そのまま厚沢部町へ行ってみるが、国道だとつまらないから館城跡でも行ってみましょう。

場所は、ここです。

道標があるから間違う事はないでしょう。

行けば、ただの草地みたいな所なんですけどね。

当時は、ちゃんとしたお城が建ってたそうです。

いわゆる、夢の跡ですかね。

それにしても、私の行く所なので祭日にも関わらず誰もいません。

ミニ資料館もある。

土手が髄所にあるから、やっぱり何かが建っていたのは、私でも分かる。

看板も立ってるしね。

こんな雰囲気です。

誰もいないせいか・・・

誰かに見られてる気がしてきた。

気のせいでしょうけど・・・

案内板を熟読してと・・・

ここは、9月30日〜10月10日頃がお勧めでしょう。

答えは、その時ここへ来たら分かります。

ハナショウブ?もいっぱい花を咲かせてました。

辺りはプチ美瑛的風景ですから、ロードバイクもお勧めです。

久々に来ましたが、悪くありません。

落し物は、ありますけどね。

20年前は、砂利道だった農道もしっかり舗装されてました。

砂利道だと怖い時があるが、舗装だとプーさんがそんなに怖くないのは、人の臭いが多いから?

実際は、落し物が地味に多い道なので、付近の農家の方は、日常茶飯事なんでしょう。
あっ、そうか。
万朶の桜か襟の色
花は吉野に嵐吹く
大和男子と生まれなば
散兵壕(線)の花と散れ
ですね。
花壇にするとはなかなか洒落のわかる御仁でござる。
散兵壕って言葉だけでも普通は分からないと思いますよ。
そこから明治時代の軍歌へよくまあ、たどり着きましたね(笑)
ここが以前杉林で、今は草地で杉野はどうした?
と書いたら『広瀬中佐』も出てきた事でしょう(笑)
この歌、最後の2つのフレーズに出てくる「いずこ」と「いずや」がおもしろいんです。漢字だと一発で意味の違いが理解できるというところが漢字文化の素晴らしさでしょうかね。
ところで、むかし、近所に「いづ屋」という店がございまして、
その前を通るたびに、小声で(他人に聞かれると恥ずかしいですから)
「すぎのーはいずや」
と歌っておりました。
今は近所に「いづ屋」さんはございませんが、
時々「売家」という看板を目にします。
そのたびに私、反射的に
「ウリャー」
と叫んでしまいます。
特に右左折のときに見つけると気合いが入ります。オススメ。
広瀬中佐(少佐)が杉野孫七を探すシーンは、映画にもなってましたね。
当時は、どちらも文部省唱歌ですから当時と現代では、時代背景が全然違いますね。
私の近所にも「イズヤ」という駄菓子屋があって、普通に「イズヤのパン」って意味なく言ってました(笑)