貧乏山の帰り道、そばにある吉野山へ寄ってみた。
そういえば、ここ吉野山へはもう三十年以上来ていなかった。
当時、私が通っていた函館の小学校では、ここが冬のスキー遠足の場所でした。
スキー遠足では、スキー組とソリ組に分かれて滑ります。
身長がすぐ伸びる小学生にとって、すぐにスキーを買い換えられる親を持つブルジョア階級(死後か?)の子供がスキー組で、プロレタリア階級(おおげさです)の子供がソリ組です。
ソリ組は一番下のゲレンデからソリを持って緩斜面の上まで登り、そこから下まで何度も何度も滑っていました。スキー組は腕前によってさまざまで、ソリ組と同じ場所を滑るか、その更に上のジャイアントコース(だったかな?)等を滑っていた。
今も覚えているのが、スキー遠足で初めてこのスキー場へ来た時の事。
私は田舎で使っていたスキーを持参して行ったのですが、何やら他のスキー組のメンバーとはスキーが違っていました。みんなはかかとが固定される現在とほぼ同じ原理?のスキーで、私は長靴に革のバンドでつま先とかかとを固定するタイプでした。要するにかかとが浮いて、歩くスキーみたいな状態なんです。
滑り出すと他の子供達は、上手い子供は上手いなりに、下手な子供もそれなりに滑っています。私はというと、曲がるたびに膝を曲げ、曲がる方向の反対側のスキーを前へ押し出す滑り方をするのです。これはテレマークという滑り方なんですが、当時の小学生の子供達にはそんな滑り方を知っている子供は誰一人いません。
スキー靴も無いし、ただの長靴で滑るスキーなので「田舎者のスキーだ!」とみんなに馬鹿にされて全然楽しくないスキー遠足でした。
家に帰って親にスキーをおねだりしたが、買ってもらえるわけもありません。
当然、次回からはソリ組になってしまったという、あまり楽しくない思い出です。
その吉野山スキー場も現在は閉鎖されており、山頂から続く二本のコース跡を見ることができるのみとなっています。吉野山へ近寄ってみると、どうやらそのコースも木が生えてきている様子。植林なのか自然に生えてきたのかは分かりませんが、今はゲレンデとして使用できないようです。
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2008年04月22日
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前回コメントしたページのリンク辿ってばかりいたので気が付きませんでした。(大歩危)
貧乏山、いい名前ですね。(笑)
気に入りました。
景色も良さそうですし。
吉野山ときいたので、あの西行法師のかな、と思ったのですが、北海道にもあるんですね。
北海道林道ツーリングもやりましたが、道央がメインだったので、函館近辺はまったく守備外です。
私も、中学校までスキーをやっていたのですが、
当時スキー場といえば、吉野山と 仁山くらいで、吉野山の 下の緩斜面で、確かロープにつかまって登るリフト?だったと思いますが、ロープにつかまっているうちに だんだんと握力がなくなって 耐えていたことを思い出しました。
ありがとうございます。
サンダー
帯広より帰函しました。
同僚の車に便乗しての出張でした。
吉野山スキー場は僕が中学校の時に
閉鎖になったのを覚えています。
ワイヤーで上に登って、その後、
リフトで登るシステムでしたよね。
八雲の春日スキー場と同じワイヤー式の
リフトだったので、よく覚えております。
昭和39年ごろにリフトが付いてからは、私にとってはまさに20代のスキー歴青春時代のスキー場です。1級を取ったのもここの山で、スキー指導員になってからもこの山と仁山が活躍の場でした。
あの山の上半分は国有林ですので、スキー場の閉鎖後はリフトなどの設備は全て撤去し、計画的に植林がなされました。多分、当時のスキー場経営者の藤田観光の手で・・・?
バイク走行が気持ち良い時期になりましたね。
私のスクーターも調子良く走っています。
私は旭川出身なので、仁山や吉野山は知りませんが、小学校低学年の頃は…そう、黒ウサギさんと同じで革バンドの金具でしたね。
踵が上がるから歩いたり登ったりは楽でしたね。
高学年になってやっとカンダハーを買ってもらいました。よく足を折りやすいって言われてた。
無理して手を伸ばして届く長さ以上のを履いていましたが、今は短いスキーがいいんですね。
しかも溝無しだったり。
スキーの思い出は沢山有りますがもう春なのにスキーの話でスミマセン。
一応、毎日更新するように心がけているので沢山更新してしまいます。
貧乏山は吉野山と違い日本に一つしかない珍名山だそうですよ。
北海道へツーリングに来たら、
まずは道東でしょうから道南をパスしても仕方がないでしょう。
こうして函館に住んでいても道東は行って見たい場所ですからね。
前回道東へ行ったのはもう20年も前の事ですから・・・
そうです。
下のゲレンデはロープトウがあって、それにつかまり続けるのが大変でした。
子供は筋力がないので(今もありませんが)腕と握力が
プルプルして辛かったのを覚えています。
上のコースはいきなりの凄い傾斜で、かなり怖かったし、
下の緩斜面は緩すぎて面白くないし、難しいゲレンデでした。
スキー遠足のおにぎりが冷たかったのも思い出されます。
出張ご苦労様でした。
ロープトウは上半身が鍛えられて、スキーは下半身?
バランス良く鍛えられる気がしましたが、遊びに行ってるわけで、
鍛えるつもりはありませんからやっぱり辛かったですね。
当時は八雲、落部、森にもそんなスキー場がありましたね。
仁山へ行ったらTバーリフトと本物のリフトがあって最初乗り方が分からなかったです。
スキーはsakagさんの得意分野でしたね。
私は田舎の山で滑った程度なので、初めてのゲレンデにはビックリしました。
登らなくてもリフトやロープが私を上へ運んでくれましたから。
それにジャイアントコース?の斜面にも驚きでした。
「こんな坂、誰が滑るんだろう?」って・・・
冷たい鮭のおにぎりと暖かいお茶、
そしてタクアンが凄く美味しかったのをいまだに覚えています。
今はダンラインロープで営業してるロープトウは道内で
もう2〜3個所ですね。
Tバーリフトは道内で7〜8箇所かな。
函館付近では知内がありますね。
まあそっちの仕事なんで詳しかったりします(笑
八雲も数年前に新しくなり立派なスキー場になりました。
横津岳の大昔あったゴンドラは国内初のゴンドラでした。
今は横津もナイス函館もやってないのでなかなか道南に
行くことが少なくなりました。
スキーの長さも今は信じられないほど短いですね。
昨年、メーターの板を久々履いていったら小学生に
ジャンプの板? って言われましたから(笑
スクーターの調子良いみたいですね。
小排気量の空冷バイクは冷却効果がイマイチなので、
人間がすこし寒く感じるぐらいが一番よく走ってくれるようです。
今時期ですかね〜
そうでしたカンダハーです。
足を折るとはよく聞きましたが、周りではいませんでしたね。
私の革バンドのスキーは長く滑っているとバンドに付いた雪がダンゴになり外れなくなって大変でした。
面倒臭いから長靴ごと脱いでいた覚えがあります。
関係ないけど小林旭のスキー小唄?みたいな曲で
♪転んで舌をカンダハ〜♪ってな感じの曲ありませんでしたかね?
そうでしたか?
RJさんは道内を随分走り回っていると思ったら
そういう関係のお仕事だったんですね。
スキーブームも去り私の周りでスキーをする人間は
皆無といってもいいほどいなくなりました。
せいぜいスノーボードぐらいでしょうかね。
スポーツ用品の量販店へ行くと本当にビックリするほど板が短いですね。
私の頃は手を上に伸ばして、手首ぐらいの長さでした。
しかも長いほど上手くて偉い?みたいな感じがありました。
これってハーレーオヤジの『バイクは大きいほど偉い』に似た感じがします(笑)
そうです!あの頃は195にしたとかメーターにしたとか、
2m10を買ったとか段々エスカレートして長くなっていきました(笑
>ハーレーオヤジの『バイクは大きいほど偉い』
ハハハハ!全くもって同感ですね〜
同感すぎてまた書き込んでしまいましたよ(笑
うけちゃったみたいですね。
一般道では大きなバイクほど偉く見えますから、
ハーレーオヤジも図に乗るんでしょう。
野山ではTWでも大きいと思えることがあります。
トライアル車程度の大きさで、RJさんのバイクぐらいの動力性能が
あると最高なんですが、今のスキーのようにコンパクトにならないのでしょうね。
中学半ばにして東京へ転校、
ゆえに函館を離れて40年以上。。
吉野山などの単語すら忘れかけておりました。
なつかしいです。
ロープトウ、第一第二リフト、ありました。
このゲレンデが廃業したのは聞いておりましたが、横津ほど標高も無く、南向きの斜面なので、気温からして雪質も悪く仕方がなかったのでしょうか。
今度、帰省した時に登ってみたいです。
はじめまして
そして、10年も前の記事にコメント頂きありがとうございます。
吉野山のスキーコースは植林されてしまっていますから、今ではスキー場だった面影も殆ど無くなってしまいました。
この記事を書いた10年前なら国道5号線で森方向から函館方向へ走ればスキー場だった面影があったんですけどね。
今じゃすっかり緑の山って感じです。
画伯さんは私と同世代か少し下ぐらいでしょうから、ここのスキー遠足は懐かしい事でしょうね。
帰省の際には是非お立ち寄り下さい。
大沼界隈も当時より寂れてますが、その分自然もいまだ残ってます。