2008年04月03日

昭和のポスト

夕暮れ時にお散歩へ出かけた。

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函館市入舟町高龍寺、ここには古いポストがまだ現役で活躍中です。

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懐かしいので写真を撮っていた・・・

そしたら、ばあちゃんが歩いてきた。

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古いポストと寂れた街並み、そしてばあちゃん。

まちがいなく昭和の風景でした。

なんだかずっと居たかった・・・


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2008年04月22日

吉野山の思い出

貧乏山の帰り道、そばにある吉野山へ寄ってみた。

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そういえば、ここ吉野山へはもう三十年以上来ていなかった。

当時、私が通っていた函館の小学校では、ここが冬のスキー遠足の場所でした。

スキー遠足では、スキー組とソリ組に分かれて滑ります。

身長がすぐ伸びる小学生にとって、すぐにスキーを買い換えられる親を持つブルジョア階級(死後か?)の子供がスキー組で、プロレタリア階級(おおげさです)の子供がソリ組です。

ソリ組は一番下のゲレンデからソリを持って緩斜面の上まで登り、そこから下まで何度も何度も滑っていました。スキー組は腕前によってさまざまで、ソリ組と同じ場所を滑るか、その更に上のジャイアントコース(だったかな?)等を滑っていた。

今も覚えているのが、スキー遠足で初めてこのスキー場へ来た時の事。

私は田舎で使っていたスキーを持参して行ったのですが、何やら他のスキー組のメンバーとはスキーが違っていました。みんなはかかとが固定される現在とほぼ同じ原理?のスキーで、私は長靴に革のバンドでつま先とかかとを固定するタイプでした。要するにかかとが浮いて、歩くスキーみたいな状態なんです。

滑り出すと他の子供達は、上手い子供は上手いなりに、下手な子供もそれなりに滑っています。私はというと、曲がるたびに膝を曲げ、曲がる方向の反対側のスキーを前へ押し出す滑り方をするのです。これはテレマークという滑り方なんですが、当時の小学生の子供達にはそんな滑り方を知っている子供は誰一人いません。

スキー靴も無いし、ただの長靴で滑るスキーなので「田舎者のスキーだ!」とみんなに馬鹿にされて全然楽しくないスキー遠足でした。
家に帰って親にスキーをおねだりしたが、買ってもらえるわけもありません。

当然、次回からはソリ組になってしまったという、あまり楽しくない思い出です。

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その吉野山スキー場も現在は閉鎖されており、山頂から続く二本のコース跡を見ることができるのみとなっています。吉野山へ近寄ってみると、どうやらそのコースも木が生えてきている様子。植林なのか自然に生えてきたのかは分かりませんが、今はゲレンデとして使用できないようです。



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2008年05月06日

函館バス転回場の謎

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ここは函館の観光名所『外人墓地』から函館山側の場所。

函館の路線バスの終点『高龍寺』へ到着したバスをUターンさせる場所です。

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この場所に、いつも気になっているコンクリート製の壁がある。

おそらく函館山要塞当時に作られた物だと思われますが、実際にそばで見た事がなかった。

夕方から時間ができたので、ちょっと見てみる事にしましょう。

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転回場奥右手に、草が生い茂ってはいるものの、コンクリートで舗装されたの坂が伸びている。

登るとすぐ分かれ道になっており、真っ直ぐと左に折れる道があります。

左に行ってみた。

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眼下に外人墓地と海が見えます。

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今時期だから歩けるものの、もうすぐイタドリが伸びはじめるので、すぐに藪漕ぎ状態となるでしょうね。

また少し歩くと道が終わり、急に開けた場所に出た。

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どうやらここが終点らしい。

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ここの地面も朽ち果てたコンクリート製。

函館山の方を向き右手にも道が続いているので、今度はそっちへ行ってみる。

また少し歩くと先ほどの分岐に到着した。

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なるほど、どっちから行っても同じ場所に来て、また戻るわけね。

これで、前から気になっていたバス転回場の裏は見たけど、何でこんな物があるのかは、やっぱり謎のままです。

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2008年06月01日

旧函館区役所

先週も今週も休みは雨。

お天道様には逆らえませんから、それはそれで楽しむ事にした。

今日は以前から調べようと思っていた、函館の古い街角写真の発掘です。


函館には旧函館区公会堂という重要文化財で、有名な観光地があります。

それに勝るとも劣らない筈だったのが、現在の豊川町にあった函館区役所。

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函館区役所  撮影は明治36年。

残念ながら昭和9年の大火で焼失したそうですが、

こんなに立派だったのかと驚いてしまいました。




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2008年06月02日

函館バス転回場の謎2

昨日は古い函館の写真をいろいろ探していた。

そしたら、いい写真を発見。

先日の『函館バス転回場の謎』の場所が製網工場跡だとのコメントがありました。

その裏付けの写真がこれで、高龍寺から穴間方向を望む景色です。
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(撮影 昭和30年)

正面のお店屋さんから右に下がると外人墓地、そして左に上った先に煙突がある。

ここが当時の日魯漁業(現在潟}ルハニチロホールディングス)の製網工場の煙突だそうです。

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現在の写真はこれ。

位置関係として間違いなく函館バス転回場は製網工場でしょう。


それはそうと、坂の突き当たりのお店は当時『三角屋』といったそうです。

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よく見ると、今でも三角屋と看板に書かれていた。

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53年後の現在もある三角屋さん。

なんだかホッとしてしまいました。



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2008年06月03日

函館の映画館

今日も昭和30年代のお話。

この頃の娯楽といえば映画でしょう。

私が育った八雲町でも隣町の長万部町、森町でも映画館があった。

当然、田舎から見れば都会だった?函館にも沢山の映画館がありました。

当時、函館にあった映画館の一部だけですが、写真が見つかったのでご紹介。

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松風町『日活』

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松風町『大門座』

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松風町『大映』

この映画館は『ガメラ対ギャオス』等のガメラシリーズを見によく行きました。

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大森町『巴座』 廃業したのは記憶に新しい映画館です。

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十字街『松竹座』

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十字街『銀映座』

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堀川町『新星映画』

この他にもまだまだ沢山の映画館がありました。

函館を知らない方には「なんのこっちゃ?」となってしまうでしょうが、古い画像を見ると、カブC100やドリーム、そしてオート三輪やR360等々が写っており、それなりに見ごたえがあるはずです。


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2008年06月10日

街頭テレビ

我が家の近く、国道5号線沿いにある『東光ラジオ店』

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申し訳ありませんが、今はあまりお客さんは入っていないようです。

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ところが、昭和33年の写真を見たらビックリしました。

あの『ALWAYS 三丁目の夕日』そのままの光景が見られるではありませんか。

当時はテレビなどお金持ちの家にしかなかった時代です。

力道山VSシャープ兄弟や鉄人ルー・テーズとの一戦でも見てるのでしょうか?

歩道からはみ出して停めてある自転車やリアカー、

そしてこんなにも人だかりが出来ています。

今でもこのお店は同じ場所にありますが、

この辺りは市電も廃止され、すっかり寂れたたたずまいです。

とはいえ、この界隈で暮らしている人は良い人が多く、

私には住みやすい街並みなのです。


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2008年06月20日

立待岬の橋

少しだけ時間があったので、お散歩してきた。

まずは住吉築港へ行ってみます。

ここには函館山要塞時代の砲撃用水尺の名残があるのでご紹介しましょう。

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この防波堤の先にあります。この場所は、波がある日にはサーフィンをしている人を見かけますが、どうやら今日は凪なのでいないみたい。

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これは以前紹介した事のある矢不来の水尺と同じ物です。

今は月日の流れで崩壊し、基礎の部分を残すのみとなってしまいました。


釣り人もいないし、ここらでマッタリしようかな?

いや、立待岬の方へ行ってみましょう。

立待岬へ行くには、石川啄木一族のお墓がある坂を上って行くのが普通です。

ところが、私が4歳ぐらいの頃、祖母に連れられ海伝いに立待岬へ行った事がありました。たしか木の橋、というより木の歩み板が岩と岩との間に架かっており、そこが怖くて渡れなかった。そこで祖母が私をおんぶして渡ったのです。おんぶしてもらうと更に高さを増したその橋は、子供心にもかなり怖かった。

そこへ40数年ぶりに行ってみることにしましょう。

道はたしか?啄木への道の一本前の道を入れば良いはず・・・

ここかな?

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すぐに住吉築港が見える海に出ます。

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このあたりは海の水も綺麗です。

200mほどメイトを走らせると道が無くなりました。

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ここから行けるのかな?

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最後の民家には、私を全く無視して爆睡中のワンコ。

波も穏やかだし気持ちが良い・・・

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さて、メイトを置いて歩き始めましょう。


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2008年06月21日

立待岬の橋2

静かな海だったのに、水上バイクが5台ほど登場した。

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いつも思うのだが、水上バイクって一体何ノットぐらいでるんでしょう?一見すれば30ノット近く出ているようにも見えるけど、物自体が小さいので速く見えるのかも知れない・・・
艦船オタクの私でも、これは守備範囲から外れているので良くわかりません。
ちなみに1ノットは時速1.852kmです。

私も陸上バイクに乗るけど、水上バイクはちょっと五月蝿い。きちんと使えば良い乗り物にもなるのでしょうが、スノーモービル同様水上バイク嫌いな人は多いですから。

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話を戻して立待岬を目指しましょう。

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あたりには綺麗なユリ科のエゾカンゾウやオオバナノミミナグサが咲いています。

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海から10m程の高さの岩場を巻くように歩いて行く。

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足元では釣りをしているオッチャンがいた。

景色も良いので岩に腰を下ろしてマッタリします。

10分経過・・・なんだか気持ちよくなって眠くなってきちゃった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

さあ、行きますか! 歩き出したら私のすぐ目の前がガサついた。

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んっ・・・田中邦衛 青大将 アオダイショウも日向ぼっこしていたみたい。

私が休んだ場所から岩を一つ越す・・・見えてきました。

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これが当時渡った木の橋です。

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今は丸太3本で出来ていますが、よく見るとその下には以前からある歩み板が見える。その歩み板が私の渡った板とは思えませんが、とりあえず40年前、この橋を渡ったのは確かです。

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木の橋を渡ると数十メートルで立待岬に出た。

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それなりに人がいます。

昔は橋が二つあったと記憶していましたが、どうやら橋は一つのようです。

当時、穴間のつり橋の先にあった木の橋(歩み板)と勘違いしていたかも知れません。

ほんの僅かな時間でしたが、懐かしい場所を訪れる事ができました。

釣り人がいるので釣りも出来そうですが、透明度の高い海の中は昆布だらけ。根がかりして、仕掛けを沢山なくしてしまいそうでした。


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2008年06月26日

昭和26年の慰霊堂

昭和26年の慰霊堂の画像を見つけた。

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慰霊堂とは昭和9年の函館大火で亡くなった2828名の函館市民を方々を祭るために作られた建物です。年一度の慰霊祭が行われる以外、訪れる人も殆どいない建物で『ばんだい号』墜落事故の際にも遺体安置所として使用されたそうです。

大火後、焼け出された人が掘っ立て小屋生活を送り、その後昭和20年の敗戦で家を無くした人々がここに住んでいたそうです。

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そんな暗い過去があるとは思えないほど今は整備された場所となっています。


ちなみに、この頃の函館山山頂にはテレビ塔も立っていません。


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2008年07月30日

花電車

今年も8月1日から函館港祭りが始まります。

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それに先駆けて、先日から花電車が走っていました。

子供の頃は、沢山の人が花電車に手を振っていたものですが、今ではお年寄りや子供が手を振る程度。

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昭和30年代の花電車はこんなに立派で賑やかです。

花電車一つを取ってみても、当時の函館の活気が伝わってきます。



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2008年10月28日

懐かしかった・・・

一昨日の夜から歯茎が腫れていました。

歯医者さんへ行ったら、被せた歯の中が虫歯になり歯根の辺りが化膿していた。

結局・・・抜歯です。

歯が痛いので仕事から帰って、今日は大人しく動画を見ていました。

そしたら、私が20代の頃の動画発見。



懐かしい一時でした。

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2008年12月12日

サーカスゴマ

今日も押入れの掃除と整理をしています。

昨日同様、いろんな物が出てくるけど、時間がないので我慢我慢。

押入れの奥にあるダンボールを整理していたら・・・

またこんな物が出てきてしまった・・・

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今から40年以上前の“地球ゴマもどき”のコマです。

これ、鑑定団とかに出せばそれなりの金額になるかもしれません。

黙ってダンボールに戻し、本日分のお掃除ノルマ終了です。




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2008年12月17日

古いアルバム

今日もまた大掃除をしていた。

古いアルバムが目に留まったけど、これを見ちゃ掃除がはかどりません。

我慢して掃除再開・・・

一応今日のノルマ分が終わったのでアルバムを見る事にした。

あまり時間がないので、野山の写真だけ見たんです。

40年前も現在も、幼き日の記憶通り今もその姿を保っています。

変わるのは人間だけなのでしょうね。

当時のアイドルだって・・・






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2008年12月30日

新日本紀行

お昼休みにN○Kで昔懐かしい放送(有料)を見られるようになった話題があがった。

私が思い出すのは『新日本紀行』

オジサン世代でなければ知らないと思います。



このオープニングテーマが懐かしいんです。
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2009年02月03日

スッポンカッポン

今日は函館以外の方には分からないローカルな話題です。

函館市を流れる亀田川、その五稜郭近くにある、白鳥橋と五稜郭橋の間に『スッポンカッポン』というヘンテコリンな名前の場所がありました。昭和30年代以前を生きた方なら知っているはずで、現在、『スッポンカッポン』を見た事のある人は初老?以上の方でしょう。

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当時、亀田川はこの付近で大きく蛇行していたそうで、その蛇行した中心部に堰(せき)が設けられており、ここから防火用の水道を市内に引いていたそうです。

私も『スッポンカッポン』を見た事のない人間です。

それでも興味津々で、その名前の由来を知りたかったんです。十数年前に近所の古老に云われを聞いた際、堰(せき)の開閉時にスッポンカッポンと音がするので名付けられたと知りました。

ところが最近、箱館戦争関係の書籍を読んでいたら、他の説が出てきました。この堰を建設する工事は大正初期に始まって、川の流れがせき止められて深くなり水死者が多かったそうです。そのため、水死者が浮かんでくる様子を表現して『スッポンカッポン』と呼んでいたという説です。

ちょっと怖い云われなので、どちらかと言うと前者の説の方が良いかも知れません。

今は無い『スッポンカッポン』、これからも名前だけは残しておきたいものです。




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2009年02月04日

昔のデパート

昨日の『スッポンカッポン』の時代背景を考えていたら、先日破綻した丸井デパートの事も思い出した。当時の丸井デパートは十字街にあり(現、地域交流まちづくりセンター)昭和44年に五稜郭へ移転しました。十字街時代の丸井へは、私も何度か行っています。

その頃のデパートは今で言うアミューズメントパークというか一大レジャーランドでした。月に一度、行けるかどうかのデパートでしたから、行く時はもちろん“よそ行き”の服(半ズボンに蝶ネクタイ)です。一階からお買い物をしながら上階へ行き、プレイランド(ゲームセンターね)で遊ばせてもらって、お昼には大食堂で昼食。大食堂の前にあるガラスケースに陳列された食品サンプルを食い入るように見たものです。

お腹一杯大食堂で食べた後はエスカレーターかエレベーターで下階に降りるんですが、エスカレーターで下に降りると、必ずと言っていいほど見かけるのがダダッ子です。おもちゃ売り場の前で、親に「買ってぇ〜・買ってぇ〜」と騒ぐ子供、買ってくれないと泣きまくります。いい加減頭に来た親は子供を叱り付け、すると子供は泣きじゃくる。私もおもちゃ売り場で何度かそれをやりましたが、他の子供を見て、“人の振り見て我が振り”直した覚えがありますね。

今思えば、いつの間にか物欲を我慢する学習をしていたのでしょう。そして現在ではあまり見かけない光景です。今の子供は物欲を我慢する学習を何処でしているのかな?

デパートの締めくくりは地下の食品売り場へ向かいます。ここでは近所のお店では買えないお惣菜や、美味しいケーキ、お菓子などを買ったものです。特に大好きなお菓子に至っては、大きな回転するワゴンに沢山のお菓子があって、それを小さなスコップですくって量り売りされていました。

そんなデパート全盛に時代を考えると、今はスーパーでもホームセンターでもデパートにあるものは格安で手に入りますから、破綻するのは世の流れかもしれません。

昨日も丸井デパートの前で、存続の署名活動をしていた。

署名した人の殆どが、たまにしかデパートを利用していないんじゃないかと・・・



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2009年02月05日

谷地頭温泉と洗濯ばあさん

昨日に引き続いてのお話。

その頃、デパートでお買い物をするなんてのは、滅多にある事ではありませんでした。
他にイベント的?楽しみがなかったかな?と考えてみたら・・・あった。

当時、祖母に函館山の麓にある、谷地頭町の市営谷地頭温泉に連れて行ってもらうのも、お楽しみの一つでした。

市電に乗って谷地頭の終点まで、車窓からの景色を眺めるのは実に楽しかった。現在は労働会館回りの路線は廃止されていますが、当時は国道5号線経由と労働会館回りがあり、どっちも幼い私の目には新鮮な景色です。電車が谷地頭の終点に到着すると、電車の運転手さんが進行方向逆側の運転台に立つまで眺め、それから谷地頭温泉に向かったものです。

温泉は近所の銭湯とは違い、体育館のように広くて脱衣所の畳の匂いが印象的でした。祖母と一緒に女湯(子供ですからね)に入る。湯船のお湯は現在と変わらず黄土色をしています。深さが全然わからないので、恐る恐る入ったものです。深さに慣れると、次はおもちゃで遊び始めます。当時から好きな潜水艦のおもちゃは必ず持参していましたからね。

のぼせるほど湯船で遊んだ後は、祖母に体を洗ってもらう。お風呂で一番嫌いな時間がこの時でした。当時はお風呂など一週間に一度入ればよい方だったので、垢が出るわ出るわ・・・その垢こすりが大嫌いだったんです。

体を洗い終わると、もう一度湯船で遊んで入浴終了となります。

そんな谷地頭温泉で、伝説のおばあちゃん『洗濯ばあさん』に一度だけ会った事がありました。この人も『スッポンカッポン』同様に、古くから函館に住む人で知らない人はいないはずです。頭をツルツルに剃っていて、洗い場でお洗濯をし、何だか訳の分からない奇声を発しながらお洗濯をしていました。子供心に悪い人じゃないけど変なおばあちゃんだなぁ〜と思える人物でありました。

その後、祖母が街中で何度か『洗濯ばあさん』を見かけた事があった。『洗濯ばあさん』は、現在のベイエリア(金森倉庫)のそばにあった、フェリー乗り場近くの水のみ場(水道)でお洗濯をしていたそうです。その洗濯物は近所の人達の洗濯物で、洗濯終了後、幾らばかりかのお金を貰っていたそうです。これでみんなが『洗濯ばあさん』と言う訳が分かったのでした。

私の洗濯ばあさんとの出会いは一度だけでしたが、現在でも洗濯ばあさんを知る人は多いようで、会社の年配の同僚に「洗濯ばあさんって知っています?」と聞いてみたら、やっぱり知っていた。

『洗濯ばあさん』は、市内のあちこちに出没して洗濯をしていたと、当時の話を懐かしそうにしていました。

歴史に残るような人ではありませんが、函館史の中で、後世まで語り継がれて欲しい人物・・・かな?




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2009年02月27日

ハナタレ小僧

メイトで会社へ向かっていた。

信号待ちで止ると、横断歩道を二人の小学生が横断してきました。

一人の児童がこっちを向いたら驚いた。

鼻の下から青鼻が二本伸びている。

最近見かけなくなったハナタレ小僧ではありませんか。

すぐにその子のジャンパーの袖を見たら・・・やっぱり。

袖がテカテカです。

今時珍しいものを見てしまいました。

でもね、これだけ衛生状態が良い現代で、こんな子供がいる事に少し疑問を感じた。

親は一体何をしているんだろうと、少し気になってしまった。

信号が青に変わってメイトを発進させたので、その子とはそれだけの縁でした。


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2009年05月23日

中央埠頭

数日前、中央埠頭と万代埠頭へ釣りの偵察に行ってました。

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天気が良かったので一枚パチリ・・・

その事をすっかり忘れ、さっき画像を見ていた。

ん・・・何となく見たような画像だな?

と、思って古い本を引っ張り出してみたんです。

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やっぱり・・・

当時、メイトが写っていた場所は海の上でした。

すっかり地形が変わっていますが、左奥の倉庫群が当時と同じです。



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